涙のなかで おもうこと
―わたしはきっと
もらい児よ―
まつげのはしの うつくしい
虹を見い見い おもうこと
―きょうのお八つは
なにかしら―
(睫毛の虹)
金子みすずが生きた大正時代。人生は明るく、かつ悲しい時代でした。
それは平成の現代も本質的に変わらないはずです。ただし「豊かな時代」
の現代は、悲しみが隠されている時代です。
保険や年金、人権や法律などの発達のお陰で、人生につきものの様々な不安や
リスクから現代の人々は守られています。ひとの死すら日常生活から隔離されて
いるのです。平和や幸福であることが「当たり前」という顔をしています。
悲しみや不幸が巧妙に人生の表舞台から隠されてしまっているのが現代社会です。
分かりにくくなっているのです。
* * * *
青いお空の 底ふかく
海の小石の そのように
夜が来るまで 沈んでる
昼のお星は 目に見えぬ
見えないけれども あるんだよ
見えぬものでも あるんだよ
(星とたんぽぽ より抄)
人生の悲しみや苦しみは、誰のこころにもあるものです。それは分かっていても
誰かさんにある悲しみや苦しみに、ひとはなかなか気づかないのです。
詩人はそんな人間の弱さをそっとやさしく包み込みます。
言葉の力はすごいと思います。
金子みすずは大正という時代がもたらした珠玉の感性です。自我という
ものがちゃんとありながら固執せず、他者への共感、宇宙との一体感の
なかで相対化してしまう視点は、実に日本的な、優しさに満ちた感性だと
思います。
このような感性を言葉で紡ぎだして後世に残してくれた詩人に対して感謝の
念を覚えるとともに、そんな人物を生み出したこの国の文化に誇りを感じます。
この感性を現代の経営(グローバルビジネス)のなかで復活できたらどんなに
素晴らしいことでしょうか。合理的なマネジメントに徹しながら経済を発達させ、
同時に「目に見えぬ」感性でひとの幸福を両立させる、というテーマ。
突飛な空想でしょうか。それとも永遠のテーマというべきでしょうか。
(2011.10.27)
参考
「金子みすず童謡集」ハルキ文庫


